京大アメフト 復活の道

2010/09/07

読売新聞: 京大アメフト 復活の道

あまりに遠回りな仕掛けで、支えになるのはただ勝利への渇望だけだ。低迷する京大アメリカンフットボール部が、新入生勧誘のためシステム化に乗り出した「受験指導」が、3年目を迎えて成果を実らせつつある。

 日本一4度、学生王者6度の伝統校も、関西学生リーグの優勝は1996年が最後。今季の開幕戦となった4日の立命戦は、敗れたものの、最終クオーターの途中まで1点差で食い下がった。西村大介ヘッドコーチ(33)は「勝たないといけない試合だった」と振り返ったが、目を引いたのは、一時の部員減に歯止めがかかり、選手数が100人近くまで戻ったことだ。

 時代の移ろいは早い。西村コーチの現役時代は、約120人の1年生が入部。うち半分は「京大でアメフトをやりたい」と志願していた。だが、現在、自ら門戸を叩いてくる学生はほぼゼロ。勧誘しても1部にいることさえ知らず、「おかあちゃんに聞いたら、昔は強かったんですね」と言われる始末だという。

 2006年1月に発覚した不祥事が追い打ちをかけた。一昨年はどん底で2~4年生が計35人を切り、昨季は史上最低のリーグ戦6位。05年から本格指導する西村コーチは「このままだと、この部は消滅すると本気で思った」。手をつけたのが、勧誘制度の改革だった。

 OBらの協力で、全国の進学校など100校近くを回り、アメフトだけでなく他競技のアスリートらにも声をかけた。このうち約30人の3年生、浪人生を対象に夏、冬休みに1か月半の勉強合宿を開催。1日15~16時間に及ぶ勉強は、部員が教師を務め、練習中は自習にする。今年入部した42人の1年生のうち、10人はその参加者だ。西村コーチは「スポーツをやってきた子が、短期集中で京大合格を目指す勉強法は、予備校さんにも負けない」と話す。

 今年6月に70歳になった水野弥一監督が、指導者として初めて関学と対戦し、0―114で敗れたのは1965年春。「打倒関学」とともに歩んだ歴史は、国立の難関校が勝利を追い求めて編み出してきた方策の積み重ねだった。ラインの重量化、ハードタックル、もちろん戦術も。アメフトという競技の特性に見事にからんだ。

 「受験指導」は、ライバル校のスポーツ推薦制度に比べれば、実にもどかしい。1年目は30人のうち1人しか合格しないなど、挫折もあった。だが、彼らの本気の取り組みは復活への第一歩に違いない。

コメント

名前:
Eメールアドレス:
コメント:
ファイル

画像の英字5文字を入力して下さい。:
パスワード: