米アメフト女王 今年こそ
2011/02/20
2/20 : 琴浦町出身でアメリカンフットボールの米女子プロチーム、サクラメント・サイレンスに所属する小倉(こくら)典子選手(28)が昨シーズン、全11試合に先発出場を果たし、チームの全米準優勝に貢献した。故障に苦しんだ時期もあったが、交通事故の後遺症から再起を期す日本人と知り合い、励まされたことが心の支えになったという。「今シーズンこそ優勝し、恩返しを」。4季目の開幕(4月)に向け、トレーニングに明け暮れている。(上田貴夫)
小倉選手は病弱だった中学生の時、テレビで米ナショナル・フットボールリーグの王者決定戦「スーパーボウル」を見てアメフトにあこがれ、島根大アメフト部を経て2007年12月に単身渡米。サイレンスの入団テストを突破し、08年にデビューした。
だが、開幕戦で足を骨折。鍛え上げた体は1メートル65、74キロあるが、100キロ近い大型選手とも激しくぶつかりあう競技だ。その後も故障が相次ぎ「こんなはずじゃ……」と落ち込んだ。
2年目の09年4月、サンフランシスコで開かれた開幕戦。前年末に痛めた腰の痛みをこらえて試合を終えた小倉さんに「感動しました」と照れながら手を差し出す日本人がいた。東京都葛飾区の曽根貴さん(45)だった。
曽根さんは05年、勤め先の東京・築地市場にオートバイで向かう途中、居眠り運転の車に衝突され、両足や腰など15か所を骨折。十数時間に及ぶ手術で一命を取り留めたが、数年のリハビリを経ても膝は十分に曲がらず、職を失った。
ふさぎ込んでいた09年春、サンフランシスコで働くいとこのすし職人平田和敏さん(58)から「気晴らしに来い。紹介したい人がいる」と誘われた。平田さんが勤める店によく顔を出していた小倉選手のことだった。
「けがとの戦い」という共通点のある2人は、すぐ意気投合し、メールをやり取りするように。小倉さんが故障するたび、曽根さんは長いリハビリの経験から「あまり飛ばすな」とエールを送り続けた。
「『結果にこだわらず、本場でのプレーを楽しめ』。そんな一言が何よりうれしかった。焦りや不安が消えました」と小倉選手は振り返る。
大きな選手ともフェイントや手さばきで渡り合う技術を身につけた小倉さんは昨シーズン、守備ラインの要のディフェンシブ・エンド(DE)に定着。19チームが4地区に分かれて戦うリーグで8戦全勝し、入団後、初めてのプレーオフに進出した。
プレーオフでは相手の司令塔クオーターバック(QB)を倒す好プレー・サックを2度決め、地区優勝。ウエスタン・カンファレンス決勝でも2サックを決め、あこがれの全米優勝決定戦に進んだ。
決定戦では惜敗した小倉選手だが、「プラス志向の曽根さんに支えられ続けた」と感謝する。その間、曽根さんも新しい道を歩み始めた。昨年4月から立ったままできる整体トレーナーとして都内で勤務。「彼女を応援するのは、自分を鼓舞する思いもあった」と打ち明ける。
今月初旬、キャンプに向けて渡米する直前、小倉さんに曽根さんからメールが届いた。「今年もしっかり楽しめ。その先に全米王者の座が待っている」
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